松木 眞澄

受賞作品のご紹介

「小紋」①

 伊勢の型紙はある書物には応仁の乱後に京の都が荒廃し、それを逃れて型彫り職人が、現在の白子・寺家に住み着いたと推測された事が定説化しております。
 しかし、型紙型染の時期、室町時代末、上杉謙信・信長・秀吉・家康の遺品にあります。しかし、応仁の乱の頃の型などは現在一点も発見されておりません。白子・寺家の型紙を作るため、渋や紙など紺屋もなかったことからして応仁の乱に型紙彫刻技術が伝播されたと考えにくく思われます。
 白子・寺家の「型売共年歴控帳」によると、紀州藩主徳川頼宣に御絵符と駄賃帳の交付を願い、交付され型商人たちが全国を行商したと書かれています。藩主を後ろ盾に全国行商「型売共年歴帳」に行商、また江戸初期に厚い奉書紙が使われていました。
 江戸に武士の礼装に用いた「武士熨斗目装束」の胸から腰にかけての段変わりの格子の部品の文様を型紙にデザイン化して彫られているものが多く残っている。
 伊勢型について京型紙を抜きにしては話が出来ません。「職人尽絵六曲屏風」の中に型染めが早くから隆盛していたことがわかり、彫の技法が出現していたと見られる。
江戸徳川時代に入り、武士の正装・上下(かみしも)が取り入れられ各家の家紋に匹敵する文様が上下に用いられ、そしてこの文様の大きさにより身分が示されることにより長く徳川時代に武家社会の一つの小紋の仕来りというか、流行が取り入れられた。
 しかし、徳川のある時代に奢侈禁止令と言うお触れが出て、贅沢品は使えなくなり、小紋柄がそこで大きく使用されるようになり、ちょっと見ると無地のキモノを着ているように見えるが、実は非常に贅沢な小紋の染めであり、一般庶民の隠れた贅沢が流行した。
 以上のように小紋はいろいろな変化を遂げ、今日に至り今の小紋と言うものが出来上がりました。しかし現在、文化財保護法という法律、そして重要無形文化財保持者という指定された人間国宝、しかしその人々の染作業は、明治以後広瀬治助の写し糊による染めであります。その称号が江戸小紋です。
 その後伝統産業振興法という法律が出来、その指定産業が東京染小紋、京都では京小紋という称号がつけられました。
 しかし、東京で染めた物、人間国宝の先生が染めた物、京で染めた物、まったく同じ染めであります。すべて広瀬治助の写し糊であります。
 さて、小紋の昔の染は、防せん糊を表裏に置き、両面同じ様に合して糊置を致します。そして糊を痛めないようにして天然染液の中に浸し、そして数回繰り返し仕上げた物が昔の小紋染であります。
 しかし、上下の染めは表面に小紋の防せん糊を置き、裏面を上にして両端末に張り木をかけ、強力な伸子を使って裏より染めをハケで引き染めします。そして、はりもん伸子を使って強力な糊仕上げをするのが上下です。
 以上、小紋の歴史であります

「小紋」②

 小紋は日本、我が国において型による染めの代表で、その名の通り小さな文様の柄である。
 さて、小紋の誕生の期は、といわれると?室町時代末に武家の礼服である上下(かみしも・裃)に使われ、江戸徳川時代に入り大いに発達いたしました。
 小紋または小紋染、これは日本人でなければ出来ないと思います。元来、小紋は小さな文様を布面全体に単色で型染めしたものでありましたが、現在は模様の大小、色彩の多少に拘らず、型染めの着尺を小紋と呼んでいる。
 小紋は型紙を作ることから始まり、型紙は楮・生漉和紙で、通常2〜3枚を柿渋で貼り合わせて型紙にする。そして色々な彫りで、型紙にする。突、錐、鮫、あられ、角とか色々な彫り、または手法があり、そして、道具、その上高度な熟練と忍耐は想像を絶するものがあります。
 この型の主な産地が白子・寺家である。
 したがって小紋染めというものは、技術的に型作りと染めという二つの異った仕事の協同によって成り立っているものであり、染めの側から見ると、技術は一見いかにしてこの極徴な型紙を用いて、これを間違いなく正確に裂地の上へ移していくかという非常に骨の折れる仕事ではあり、熟練の手仕事で、そして創作性も芸術性もないもののように思える。しかし、染め上がった小紋の、その美しさは到底勘の悪い、芸術性のない人間に出来るものではなく、今日の小紋の美しさを支えている。
 さて、染めの仕事のことで、これは模様の柄がしゃれているという問題ではなくデザインは一応向こう負かせ、型がいかに平らにむらなく使用に耐えるよう正確に彫られているか見分けること、何しろ細かい仕事だから彫刻刃の刃先が目に見えぬくらい喰い込んでいても、少しのむらも反物に表れる。
 その次に、小紋の美しさを制する最も大事なことは地色の選択である。多色の配色にカバーできず、一色染めであり、大体単色というのは、その色自体にどうにもならない。二つ以上の色の組み合わせたものは、美醜がはっきりする。単色は好き嫌い、着る人を考える。しかし、現在の小紋には色々な地色があり、二十代、三十代〜五十代と多くの人々にと思っております。
 さて、昔の小紋を見ると、ずいぶん型ずれがはっきり見えたり、染めむらがあるものが少なくない。それでもいい。ずいぶんいい時代でもありました。いかにものんびりした時代の大らかさが見えてほほえましいものである。しかし、現代の感覚ではそれは欠点としてしか見られない。そのために仕上げの地直しもしなければならず、考えようによっては小紋の染めは一番アラの見える事を嫌った見栄っ張り仕事をしなげればならない因果な仕事かも知れない、と思います。